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一経営者の四方山話

個人的に関心を持っているイシューについて考えたことを書いています。経営、経済、文化、学問など多岐に渡ります。

渋柿と人間性

渋柿が干すだけで甘くなるのは、渋味の元であるカキタンニンが、干すことによって水溶性から不溶性に変化するため、渋味が無くなるからだといわれる。
干し柿の甘みは砂糖の1.5倍あると言われるほど甘いもの。そもそも干される前から糖分を渋柿は持っているのだが、強い渋味の陰で感じられないだけなのだ。
人間も歳をとって、「若い頃はとっても怖い人だったのに、年取ったら随分と優しい人になった」なんて言われることがあるけど、本当は最初から優しさをすごく持った人だったんだけど、例えば他者への厳しさとかが歳をとって薄れてきたために、他人からみると「優しい人になった」と見えるだけなのかもしれない。

旧日本海軍のリンチと市場原理


坂井三郎といえば、ゼロ戦のエースとして国際的にも有名なパイロット(かつ戦後は国際的ベストセラー作家)であるが、彼の書いた『続・大空のサムライ』を読んでいて、言葉の端々に彼は日本海軍に畏敬の念を持っていることは分かるのに、以下の記述はかなり手厳しい。

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『続・大空のサムライ』(坂井三郎著、光人社NF文庫、2003-05-14)
p.167-168
 三年、四年と鍛え上げた古参兵にまじって行う十五センチ砲の訓練は、身体的にも精神的にもまだ未熟な十六歳の少年兵には、それは過酷なもので、そのつらさに耐えていくだけでも精いっぱいの上に、新兵には、朝五時半に起きてから夜のハンモックにつくまで、よくもこれほどの労働があるものだとおもわれるほどのつらい仕事が押しつけられる。
 その上、われわれには、四六時中まことに意地のわるい古参兵の目が光り、ちょっとの失敗でもすればもちろんのこと、新兵仲間の一人がまずいことでもしようものなら、それは新兵全員の連帯責任となって制裁を受けることになる。
 その制裁も、鉄拳によるびんたなどは日常茶飯事のことであり、その上に軍艦では昔からストッパーという直径五センチ、長さ約八十センチほどのロープでつくった責(せめ)道具があり、これを海水に浸すと棒のように硬直する。
 このストッパーのほかに、木でつくった精神棒(野球のバットといったもの)で、古参兵が若い兵隊のお尻をそれこそ力いっぱいなぐるのである。それも一発や二発ですまない。
 古参兵といっても二十歳そこそこの若者だけに、殴る方が興奮してしまって、めちゃめちゃに殴る。
 私の殴られた最高記録は、帰還時刻がわずか数分おくれたときであるが、立ったままで二十数発やられてついに倒れてしまい、立てなくなった私は、今度はロープでビームから吊るされてまた殴られ、気絶するまで四十七発を数えた。気がついてみると、海水を頭から浴びせられて、ぐしょぬれになって甲板の上にのびていた。
 この制裁は、夜の巡検後、薄暗い各分隊の受け持ち甲板で行われる古参兵の、一日の私たちの勤務に対する講評の後で、かならずといってよいくらいはじまる。なかにはこの制裁を唯一の楽しみにしていると思われる意地の悪い古参兵もいた。
 たまに五日もバッタのない日が続くと、私たち新兵は、かえって薄気味悪く感じたもので、風呂に入っていても新兵であることの証拠は、お尻を見れば一目でそれとわかった。新兵のお尻は、いつも紫色に皮下出血をおこしていた。
 兵隊同士の制裁は、副長はじめ分隊長、分隊士から禁止されているとのことであったが、そんなことはまったくの空念仏で、士官たちはまったくよその社会のことのように知らぬふりをしていた。
 それどころか、夜間に行われる、栄光ある日本海軍のこの地獄沙汰を、まったく知らなかった士官が大半ではないかと私は思った。
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あの坂井三郎が書いているんだから本当なのだろうとは思うだけに、時代が違うとはいえ、「こんな軍隊でよく戦ったものだな」と思わざるをえない。同じ時代の他国の軍隊でも似たようなことはあったのかもしれないが、想像するに志願兵制ではなく徴兵制である場合にこのようなリンチがまかり通りやすい、とは言えそうな気がする。
志願兵制だと、いわば「労働市場の一部」となるので、市場原理が働く余地があり、その(精神的・経済的)報酬のわりに過酷すぎる場合は「退出」、すなわち除隊してしまうであろうし、除隊した人からその評判は広まってしまうであろう。

インタビューの作法

先日、仕事の関係でインタビューされていたんだが、相手の出来が悪すぎて途中で辞めたくなった。何が問題かというと、第一に、インタビューガイドらしきものを作ってインタビューをするのはいいのだが、あまりにそれに固執していて、ちょっとでも外れることを一切しない。こちらも相手の背後の読者が興味を持ちそうな、新しい仮説とか話してあげているのに、そこを深堀りしようともせずに、さっさと次の質問へ移っていく。
第二に、本当は分かっていないくせに「分かったふり」をしている。後で調べれば何とかなるような専門用語/業界用語みたいなものだったら分かるが、いくつかの論理が省略されて結論を述べているのに、「そこをもっと詳細に教えてください」みたいなことを尋ねてこない。つまり私の言っていることを理解していない。
第三に、「~についてはどんなお考えをお持ちですか?」という具合に、質問が漠然としすぎる傾向があり、どんな答えでも言えてしまうものが多い。
インタビューされていて、知的な緊張感みたいなものが皆無なんですよね。こんなインタビュー記事を読まされる読者も迷惑な話だなぁ、と思います。ちなみに狭い業界誌向けで、ウェブでは読めないそうです。

怪我しやすい選手とそうでない選手の違い

スポーツ選手でも怪我しがちな選手とイチローみたいにほとんど「怪我で欠場」というのが無い選手もいる。この違いには、もちろん体の柔らかさとか普段のトレーニングとかいう要因があるのは分かる。
しかし最大の要因は、実力を100%近く発揮して試合に臨んでいる人と、80%の実力とかで試合に臨んでいる人の違いかな、と考えている。要するに「余裕度」だ。高校野球の球児みたいに100%出しきって「毎試合完全燃焼!」状態でプロ野球で試合をやったら、間違いなく怪我をする。
本当のプロフェッショナルとは、自分に求められている水準を最低限の労力でギリギリでクリアする人たちなんだろうと思う。一回だけの勝負なら100%出しきるのも分かるが、世の中のプロフェッショナルは長期戦を戦っているのであり、長期間、継続的に結果を出し続けないといけないのだ。
その意味では、毎回難しい手術を長時間かけて成功している外科医とかでも、本当の100%の実力はそれをはるかに凌駕する水準で持っているはずだし、「和食の鉄人」とかの料理人でも同様なはずだ。彼らは通常、全体としてみると実力の7、8割で戦っているわけだから。
ビジネスでも「お前の持っている実力を100%出してやってみろ!」とか言う上司は、怪我する部下、つまり「燃え尽き症候群」とかの予備軍を作っていることを自覚しないといけないということかもしれない。
でもプロはプロなりに「本当の実力」を上げないと「余裕度」が上がらないので普段の努力がとんでもないんだろうとは思います。

今我々が生きていくのに必要な「国語力」とは

20代の社員と話していて感じたのだが、ビジネス文書を書かせると、国語力が圧倒的に足りない。それは学校教育で教わる国語力なのではなく、コミュニケーションのツールとしての国語力が圧倒的に足りないことに気付く。
うちの娘たちの国語の宿題を見ていて私が感じるのだが、日本の学校で習う/育てようとしている「国語力」は:
1. 書き手が何を言おうとしているのかの推測ができるような読解力。書き手の言わんとしていることを100字以内などにまとめる能力。
2. 読んだ内容について思ったり感じたことを書かせる、(感受性を磨いて?)感想文を書く能力。
などが主体になっている。
一方、世の中に出て必要とされる国語力は:
1. 論理的に物事を考えて、それを相手に理解してもらい説得するための思考力と文章構成力・対話力。
2. 複雑な事象を、誤解の余地がないように明晰な文章で表現する国語力。
3. (契約書など)構造的・論理的に書かれた文章をちゃんと理解して、その足りない部分などを考えることができる国語力。
4. 相手が必ずしも100%表現することができない事柄を、想像力などを使って表現しがたいものを言語化して思考を明晰化(explicit)する国語力。

そういう意味で、学校の国語の先生に有能なビジネスマンが教えに行ってもいいんだよなぁ、などと考えてしまった。
それでも村上春樹とかにビジネス文書を書かせたら相当明晰な誤解の余地ない文章を書いてくれそうな気がする。要するに言葉の意味空間に対する感性が鋭いというか解像度が高いというんでしょうかね。作家という職業は文章を分析的に読み書きすることに慣れているからじゃないかなぁ、なんて考えている。

管理職の育成と経営者の育成

経営者の育成を最近よく考える。「管理職の育成」と「経営者の育成」では似た側面と全く異なる側面がある。似た側面としては会社というのは「個人」で戦うところではなく「組織」で戦うところなわけで、その意味でチームワークは不可欠だ。それは管理職でも経営者でも組織を動かして「事を成す」という意味では同じ。でもチームワークという言葉は経営者にはどうもしっくりこないものがあると私は感じていた。その私の違和感を日本電産永守重信氏の著書『「人を動かす人」になれ!』(三笠書房、1998年)を読んで明瞭に言語化されているのを発見して嬉しくなった。「チームワークばかり叩き込むと、決断力、指導力がにぶる」という一文で、次のようなことを言っている。
「日本の社会の中にプロの経営者を育成する仕組みが全く根付いていない。(中略)超大手企業にも管理職を育てる仕組みはあっても、経営者を育てる仕組みはない。一流の大学を出た優秀な人材に、(中略)チームワークや協調性の重要性ばかりをたたき込む。しかし、経営者に必要なのは決断力、判断力、指導力などであって、これはチームワークや協調性とは対極をなすものである。20歳代、30歳代にチームワークや協調性を身につけてしまった人間が、40歳代、50歳代になって、これまでのやり方や発想から180度転換せよと言ってみても、そうそうできるものではない」
 
次の経営者を選ぶのに管理職の中から選ぶのはダメで、経営者群の中から選ぶのが理想的と考えている。なんらかの事業責任者(PL責任を持つ)というのは管理職というよりも経営者という立場に近い。その意味で経営者予備軍を育てるためには、複数の事業を展開していて、それぞれに事業責任者をちゃんとアサインしている状態が望ましい。単一事業しかやっていない会社では事業責任者は現在の社長になってしまうので、次の経営者を育てるのも選定するのも不可能ではないにせよ難しい。
結局、経営者って孤独な存在で、意思決定をするときに一人で決めなければならないし結果責任が全部覆いかぶさってくる。この孤独感に耐えられる人にしかできない仕事だ。管理職との違いは「量的違い」ではなく「質的違い」だと考えている。
 

アップル社の「制服」

最近読んだ本にこんなことが書いてあった。

----- 引用開始 p.137 -----
アップルのとある上級管理職がこんな話をしてくれた。昇進を間近に控えていたとき、上司からもしかしたらスティーブ・ジョブズに会えるかもしれないと言われた。そうなったら、かならずユニフォームを着てこいという。彼はアップルに入社して日が浅かったので、どういう意味ですかと聞いた。そして、その答えの細かさに唖然とした。ユニフォームとは、まずデザイナーものでないジーンズ。リーバイス、ギャップ、ラングラーまでならOK。プレーンな白シャツで、カジュアル感を出すために袖をまくる。襟ボタンはいちばん上だけ外して、下にはTシャツ。腕時計は地味で機能的なもの。靴はローファーかスニーカー。革靴は避けたほうが無難で、フォーマル系は絶対にだめ。靴下は履いても履かなくてもいいが、けばけばしいものは避ける。メガネは目立たないもの。アクセサリーは付けず、コロンもなし。会議に持ち込んでいいのは、最新のマックブックだけ。「個性を感じさせるものは身に着けないことが原則」で、「スティーブが君を見たいように見られるように」するためだと言う。彼はユニフォームをスポーツバッグに入れて、車のトランクに六週間置きっぱなしにしていたが、残念ながらその機会はなかった。昇進はしたものの結局ジョブズに会えずじまいだった。
 アップルがカルトだと言われるゆえんは、わけのわからない理念のために個性を捨てさせる、こうした行為にもある。
----- 引用終わり -----
『なぜハーバードビジネススクールでは営業を教えないのか? 拒絶から始まる世界一やりがいのある仕事』(フィリップ・デルヴス・ブロートン著、関美和訳、岩瀬大輔解説、プレジデント社、2013-08-31)

良かれ悪しかれ、シリコンバレー界隈でもアップル社は「特別な存在」ではあるし、このような「制服」を暗黙のうちに強要する会社は皆無に近いと思う。しかし「カルト的」とも言える、その宗教的な情熱もアップル社の成功の大きな要因の一つだとも認めざるをえない。

カルト的なほど強い企業文化だと経営的にはマイナスよりもプラスの方が多いんだろうな、というのが私の結論。
+ 社内承認プロセスなど、会社が必要とするプロセスが少なくなる。
+ チームワークの基盤となる。
+ 採用の方針が明確になる。
+ 長期の従業員定着率が高くなる。
- 採用に時間がかかる。文化的スクリーニングがあるから。
- 短期的には新入社員の定着率低い。強烈な文化とのミスマッチ。
- 世の中の変化に合わせることを怠りがちになるので、暴走して社会問題になりかねない?

一般に採用担当者の質問内容や採用/研修プロセスで、強烈な文化を持っているかどうかが分かってくる。
Airbnbでは「余命10年でもこの会社で働きたいですか?」とすべての候補者に質問するらしいし、Zappos(靴の通販)では新人研修が終わった後に、
1. 4000ドルもらってZapposを去る、
2. Zapposで働き続ける、
という2つのオプションを与えられて選んでもらうのだそうな。
私が採用インタビューに受けた質問で最も記憶にあるものの一つが、会って最初の質問が「どうして俺はお前を採用しないといけないんだ?証明してみろ! Why do I need to hire you? Prove it!」とイギリス人のボスから挑戦的に言われたことか。