今我々が生きていくのに必要な「国語力」とは
20代の社員と話していて感じたのだが、ビジネス文書を書かせると、国語力が圧倒的に足りない。それは学校教育で教わる国語力なのではなく、コミュニケーションのツールとしての国語力が圧倒的に足りないことに気付く。
うちの娘たちの国語の宿題を見ていて私が感じるのだが、日本の学校で習う/育てようとしている「国語力」は:
1. 書き手が何を言おうとしているのかの推測ができるような読解力。書き手の言わんとしていることを100字以内などにまとめる能力。
2. 読んだ内容について思ったり感じたことを書かせる、(感受性を磨いて?)感想文を書く能力。
などが主体になっている。
一方、世の中に出て必要とされる国語力は:
1. 論理的に物事を考えて、それを相手に理解してもらい説得するための思考力と文章構成力・対話力。
2. 複雑な事象を、誤解の余地がないように明晰な文章で表現する国語力。
3. (契約書など)構造的・論理的に書かれた文章をちゃんと理解して、その足りない部分などを考えることができる国語力。
4. 相手が必ずしも100%表現することができない事柄を、想像力などを使って表現しがたいものを言語化して思考を明晰化(explicit)する国語力。
そういう意味で、学校の国語の先生に有能なビジネスマンが教えに行ってもいいんだよなぁ、などと考えてしまった。
それでも村上春樹とかにビジネス文書を書かせたら相当明晰な誤解の余地ない文章を書いてくれそうな気がする。要するに言葉の意味空間に対する感性が鋭いというか解像度が高いというんでしょうかね。作家という職業は文章を分析的に読み書きすることに慣れているからじゃないかなぁ、なんて考えている。
管理職の育成と経営者の育成
アップル社の「制服」
最近読んだ本にこんなことが書いてあった。
----- 引用開始 p.137 -----
アップルのとある上級管理職がこんな話をしてくれた。昇進を間近に控えていたとき、上司からもしかしたらスティーブ・ジョブズに会えるかもしれないと言われた。そうなったら、かならずユニフォームを着てこいという。彼はアップルに入社して日が浅かったので、どういう意味ですかと聞いた。そして、その答えの細かさに唖然とした。ユニフォームとは、まずデザイナーものでないジーンズ。リーバイス、ギャップ、ラングラーまでならOK。プレーンな白シャツで、カジュアル感を出すために袖をまくる。襟ボタンはいちばん上だけ外して、下にはTシャツ。腕時計は地味で機能的なもの。靴はローファーかスニーカー。革靴は避けたほうが無難で、フォーマル系は絶対にだめ。靴下は履いても履かなくてもいいが、けばけばしいものは避ける。メガネは目立たないもの。アクセサリーは付けず、コロンもなし。会議に持ち込んでいいのは、最新のマックブックだけ。「個性を感じさせるものは身に着けないことが原則」で、「スティーブが君を見たいように見られるように」するためだと言う。彼はユニフォームをスポーツバッグに入れて、車のトランクに六週間置きっぱなしにしていたが、残念ながらその機会はなかった。昇進はしたものの結局ジョブズに会えずじまいだった。
アップルがカルトだと言われるゆえんは、わけのわからない理念のために個性を捨てさせる、こうした行為にもある。
----- 引用終わり -----
『なぜハーバードビジネススクールでは営業を教えないのか? 拒絶から始まる世界一やりがいのある仕事』(フィリップ・デルヴス・ブロートン著、関美和訳、岩瀬大輔解説、プレジデント社、2013-08-31)
良かれ悪しかれ、シリコンバレー界隈でもアップル社は「特別な存在」ではあるし、このような「制服」を暗黙のうちに強要する会社は皆無に近いと思う。しかし「カルト的」とも言える、その宗教的な情熱もアップル社の成功の大きな要因の一つだとも認めざるをえない。
カルト的なほど強い企業文化だと経営的にはマイナスよりもプラスの方が多いんだろうな、というのが私の結論。
+ 社内承認プロセスなど、会社が必要とするプロセスが少なくなる。
+ チームワークの基盤となる。
+ 採用の方針が明確になる。
+ 長期の従業員定着率が高くなる。
- 採用に時間がかかる。文化的スクリーニングがあるから。
- 短期的には新入社員の定着率低い。強烈な文化とのミスマッチ。
- 世の中の変化に合わせることを怠りがちになるので、暴走して社会問題になりかねない?
一般に採用担当者の質問内容や採用/研修プロセスで、強烈な文化を持っているかどうかが分かってくる。
Airbnbでは「余命10年でもこの会社で働きたいですか?」とすべての候補者に質問するらしいし、Zappos(靴の通販)では新人研修が終わった後に、
1. 4000ドルもらってZapposを去る、
2. Zapposで働き続ける、
という2つのオプションを与えられて選んでもらうのだそうな。
私が採用インタビューに受けた質問で最も記憶にあるものの一つが、会って最初の質問が「どうして俺はお前を採用しないといけないんだ?証明してみろ! Why do I need to hire you? Prove it!」とイギリス人のボスから挑戦的に言われたことか。
国際チームのマネジメント能力
大抵の山は一人でも登山できるので、登山という行為は自分との闘いの側面が大きい。しかし、エベレストのような山となると、頂上まで行くのは一人かもしれないけれど、それを支える様々なスタッフがいるわけで、実際は「組織」で登っている。
その意味で高山の頂上を制覇するには組織を束ねる力が致命的に重要なはずだ。全く違う技量が必要だろうな、と思う。一人でどんなところでも登れる自信や技術・体力があっても高山を制覇できるわけではない、ということだ。
「日本人は個人では弱くても組織になると強い」とか「日本企業は戦略はいまいちだが、実行力は抜群」とか、よく外国人から言われルわけだから、チョモランマやK2のような8000メートル級の制覇は日本人チームがいっぱいいるはずなのだが、実際はそうでもない。その理由は、チームはチームでも日本人だけで構成されたチームではなくて、色々な国籍の人たちが入った国際チームだからなんだろうと考えている。
国際チームのマネージにおいて日本人が得意でない理由は「日本人は単に語学が弱いから」というよりも、自分とは異質の人たちをマネージする力が弱いから、なんだろうと考えている。今後の世界を考えると、国際チームを束ねることのできる日本人がもっともっと必要だ。観光立国を目指すにも、外国人をマネージして観光案内する人が草の根的にもっともっと必要だし、人口が減少していくんだから、成長している企業の職場には外国人もどんどん増えていくだろう。そういう人たちをマネージしていかないといけない。