一経営者の四方山話

個人的に関心を持っているイシューについて考えたことを書いています。経営、経済、文化、学問など多岐に渡ります。

悪文を読む効用

 センター試験の国語の平均点が例年に比べて大幅にダウンして、満点の半分もないらしい。だいたい6割くらいできるのが通常の平均点。

 原因は、問題に小林秀雄の随筆「鐔(つば)」というのが出されていたから、というのだが、私が受験生だった時は小林秀雄はあまりに頻繁に出されるので、必ず読んでおくべき人だった。今の高校生には難しすぎた、ということなのだろうか。

 個人的には小林秀雄の作品の中身そのものは良いと思っている。彼の「近代絵画」を昔読んで、絵の見方が全く変わって、美術館に行くのが楽しみになったほどだ。が、文章はひねりすぎていて良い文章だとは思っていない。あれを真似すれば優れた文章家になれるとは思えない。はっきり言って悪文だ。

 哲学者の文章のほとんどは分かりにくい。比較的簡単な内容のことをことさら難しく書いている印象がある。マルクス吉本隆明の著書も簡単なことを難しく言っているだけ、というイメージを持っているのだが、大批判を浴びそうだ。

 でも悪文を読む効用を無理やり探すと:

1.理解力増強とボキャブラリー

 難しい文章を読むと、やさしい文章がさらにやさしく読めるようになって、理解力が増す。つまり文章読解能力の筋肉がつく感じだ。学者の論文や専門書も難しいのだが、英語でそれらを大学院で無理やり大量に読まされたおかげで、私の場合、TIMEとかNewsWeekとかの英語が平易に読めるようになった、という実感を持っている。そしてやさしい文章を読んだ時よりも、ボキャブラリーがより増える。

2.世の中の現実

 また世の中に出てみると、悪文家はいっぱいいて、そういう人を上司に持ち、メール等でコミュニケートしなければならない事態になった時にちゃんと理解できるようにしておくためにも、小難しい文章を読んで理解できる能力は必要なんだろう。

3.難しい、複雑な事象もある

 世の中、単純なことばかりでもない。複雑に入り組んだ問題(←「日本経済をいかに再生するか」とか)、高度に抽象的なことを議論する場合(←哲学とかそうだが)、表現としては非常に複雑で難しい文章にならざるをえない場合もあろう。これを理解することが必要な事態になった時のために、難しい文章を読んで知的筋肉をつけておくことも悪くない。