一経営者の四方山話

個人的に関心を持っているイシューについて考えたことを書いています。経営、経済、文化、学問など多岐に渡ります。

家族で登山騒動記、学んだ教訓

5月3日に小学生の娘2人を連れて、蓼科山(2531m)に登ってきた。登りの距離で言うと4kmくらいだが、登山口から頂上までの高低差で言うと800メートル程度あるので、一日で昇り降りするには結構きつい。
今回の登山は、自分としては色々と反省が多い山登りだった。福島の原発事故なみに色々と誤算の連続であったと言えるかもしれない。

1. 八王子での渋滞で2時間ロス
朝5時前に自宅の千葉県浦安市を出たので、道路距離で230km(うち、高速道路が215km)くらいしか離れていないので、余裕で朝8時前に着くだろうと思っていたら、こんな早朝に八王子界隈が事故で大渋滞。そこの脱出に2時間かかり、その結果、ますます周りも通常のゴールデンウィークの渋滞が始まる時間帯になってしまい、最終的には登山口である女神茶屋口から登山をし始めたのが午前11時から、ということに。
考えてみれば、通常の登り方で登り3時間、同じルートで戻ったら2時間半。しかし休憩時間を考えると、現実的には往復7時間は考えないといけないだろう。となると、11時から登り始めたら、戻ってきたら、夜6時過ぎになる。真っ暗ではないものの、暗い山道を歩くのは危険だ。だから、出発する時点で出発を諦めて登山計画を今回は諦める、というのがおそらくは最も順当な意思決定というものだろう。
しかし、我々は諦めずに登り始めた。

2. 登りに4時間以上かかった
登山地図を見ると、登りに(休憩なしで)3時間かかることになっている。私の通常のペースは、登山地図で3時間というコースは、だいたい実際は2時間40分くらいで登る。しかし今回は子連れで、子供たちも休憩をとる頻度が多い。したがって合計4時間以上かかって頂上に到達した。
頂上に至る最後の30分くらいは、巨大な岩がゴロゴロしている、かなり急な登坂をする。こういう場所を登るのも怖いが、さらに下を見ながら下山する場合は相当な恐怖感がある。それが次の失敗につながった。

3. 帰りのコースを当初計画とは変更して別ルートで戻ることにした。
あまりに登りの最後の急坂がすごかったので、子供たちの希望もあり、別のルートで戻ることにした。頂上から天祥寺原へ降りて行き、滝ノ湯川沿いに戻ってくる登山道だ。しかし、これが大誤算。登りのルートはほとんど雪も残っておらず、持ってきたアイゼン(靴に付ける取り外しのできるスパイクみたいなもの)を使う機会はなかったが、山のこちら側は雪が完全に残っており、通常の数倍の時間がかかって下山することに。
アイゼンを使っても、スキー場で言ったら、上級コース(黒線のコース)みたいなところで、かなり急斜面の雪坂を降りて行くんだから、アイゼンがあっても相当すべって転ぶ。転ぶとなかなか止まらない。我々の前を60代のおじさんグループが歩いていたが、すべって頭を下に滑っていって、止まらずに数十メートル下へすべって肩を木にぶつけて止まった。幸い怪我はなかったようだったが。
さらに頂上から天祥寺原へ降りて行く川沿いの道が相当な「ガレ場(大きな岩がゴロゴロしている)」で、これに雪がかぶっているものだから、歩きにくいことおびただしい。異様に時間がかかり、疲労度も増す。結果、天祥寺原に着いた時点でヘッドライトを使わないとどうしようもないほど暗くなってしまった。この時点で午後6時半。しかも他に登山している人が誰もこの登山道にはいない。雪の上に足跡がついているので、何人かはこの数日、ここを歩いた形跡があることはあるのだが。この雪に熊の足跡があったらどんな思いがするのだろう、などと想像してしまった。

4. 登山道が事実上消えている。
さらに天祥寺原から滝ノ湯川沿いを歩く登山道のかなりの部分が、地図上はあっても目の前から消えてただの奥深い森林、それもかなり急斜面の道なき道になっているではないか。最初、60cmくらいの高さの笹が密に生えている平地を3人でかきわけて進んでいく。暗闇の中を大人1人と小学生の子供2人の3人が歩いて進んでいくのは、結構勇気がいる。
平地であるうちにはいいのだが、急斜面の森を斜めに道なき道をGPSナビソフトを便りに、かつ小さい子供と一緒に歩くのはとてつもなく時間がかかる。しかし、携帯電話は「圏外」表示のままなので、誰にも連絡をつけようがない。
とりあえず電話が入るところまで暗闇を進むことに決めた。地図を見ると、先へあと1kmくらい進むと電波が入りそうな気がしたので、夜8時くらいまで歩いて、結果的にそこでビバーク(緊急的な野営)することに決めた。

ビバークと言ったって、テントとかツエルトとか寝袋とかいったものは持っていない。持っているのは、ダウンジャケットと雨具だけだ。しかも高度は2000メートル以上ある。しかし、幸いなことにその割には結構暖かった。
幸い、携帯電話が一時的に圏外表示から3Gになってつながり、家にいる妻にビバークすることを連絡。我々は防寒具を着こんで、カロリーメイトを食べて空腹をしのぎ、翌朝空が明るくなってから行動することに決めた。そして3人でそこで適当な場所を見つけて、横になって眠ることにした。しかし、斜面だし、周りは木がいっぱい生えているし、我々3人が全身を伸ばして眠れるような場所はない。私と長女(小6)は全く眠れない。次女(小4)は、よほど疲れていたのかすぐに眠り始めた。

5. 雨が降ってくる。
悪いことは重なるもので、天気予報では晴れ時々曇りだったが、夜12時過ぎに雨がポツポツ降り出してきた。これでは雨具を着ているとはいえ、不快である以上に低体温症になって、最悪3人とも死にかねない。周りの土もドロドロになってくるし、全く眠るどころではない。それでも次女は眠っていたが。(笑)

6. 警察は明るくならないと助けにきてくれない。
そこで携帯電話が圏外から3Gでつながった瞬間をねらって、110番したら、長野県警が出て話したら、登山口がある行政区である茅野市警察署へ電話が転送され、また事情を説明した。結論として分かったのは、こういう状態の時には、警察も救助隊を派遣するのは明るくなってから、つまり朝5時以降でないと動かない、ということだ。二次被害を避ける目的なんだろうと思う。それくらい夜の登山道は危険だということなんだろう。
それだったら、我々3人が朝になってもう一度動き始めるというのがベストの選択肢、ということになる。

夜8時過ぎから翌朝5時まで私の場合眠らずに過ごすことになり、時間をもてあまして困った。しかも雨が降ってきて、雨宿りする場所もなく寒い。さすがに朝3-4時くらいは超寒く、がたがた震えながらすごす。もしこれに風が吹いていたら、完全に低体温症で3人の命は危なかったかもしれない、と思うと、最も幸運だったのは無風状態であったことだ、と言える。

そして朝5時前に我々は行動を再開し、1時間ほど道なき道をかきわけて進んでいくと、しっかりとした登山道を見つけ、それからさらに1時間歩いて車に帰ることができた。

今回の教訓としては、以下のことが言えると思う。
1. 登山計画は慎重に余裕をもった計画を立てるべし。
子連れで登山をする時点で時間を3割増しくらいになっても無事下山できるスケジュールをたてないと駄目。
2. 登山しない、という決断の難しさ。
八王子の渋滞による遅れで、その時点で登山を諦めるべきであった。しかし、登山しないとなると子供達もがっかりするし、親としてはその決断は非常に困難なものであった。しかし、プロとアマチュアの登山家の違いはそういうところにも現れるのだろうと思う。
3. 食料・水の大切さ
今回の場合、食料も水も必要十分に持って行ったため、荷物は重くなったものの、気分的にも体力的にも安心感があって、かつわりと普通の思考能力を維持することができた原因だと思う。空腹であの寒さだと低体温症に確実になっていたのではないだろうかと思われる。水も水筒ではなく、ハイドレーションシステムを使用していたので、2リットル/人の水も運ぶのが苦ではなかった。
4. ツエルト(簡易テント)は必須アイテム
登山関係の書籍にはツエルトは装備として必須アイテムには入れられていないことが多いが、2500メートル級以上の山を目指す場合は必須アイテムだと確信した。これによって数百グラムは重さも増すのだが、命には代えられない。
5. 警察は朝にならないと動かない。
朝にならないと動かないということは夜を何とか生き延びないといけない、ということでそれを覚悟した装備、体力を温存していないといけない。
6. 登山道は消えてなくなっている場合もある。
これは全く予想外だった。GPSアプリがなかったら、どうなっていただろうか、と恐ろしくなる。
7. 携帯電話のバッテリーは十分に予備を持って行くこと。
今回の場合、予備バッテリー付のiPhoneケースだったので、余裕をもった対応ができた。これが電池切れになったら、恐ろしい事態に。

子供達の感想は「死ぬかと思ったけど、終わってみると楽しかった」、「こんな経験をさせてくれる親なんかいないと思うよ」というポジティブな感想で良かった。また山登りをしたいらしいが、こんなにadventurous tripでなくていいよ、とも言っていた。そりゃそうだろうよ。私もこんなハラハラするようなことをやるつもりないよ。