一経営者の四方山話

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旧日本海軍のリンチと市場原理


坂井三郎といえば、ゼロ戦のエースとして国際的にも有名なパイロット(かつ戦後は国際的ベストセラー作家)であるが、彼の書いた『続・大空のサムライ』を読んでいて、言葉の端々に彼は日本海軍に畏敬の念を持っていることは分かるのに、以下の記述はかなり手厳しい。

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『続・大空のサムライ』(坂井三郎著、光人社NF文庫、2003-05-14)
p.167-168
 三年、四年と鍛え上げた古参兵にまじって行う十五センチ砲の訓練は、身体的にも精神的にもまだ未熟な十六歳の少年兵には、それは過酷なもので、そのつらさに耐えていくだけでも精いっぱいの上に、新兵には、朝五時半に起きてから夜のハンモックにつくまで、よくもこれほどの労働があるものだとおもわれるほどのつらい仕事が押しつけられる。
 その上、われわれには、四六時中まことに意地のわるい古参兵の目が光り、ちょっとの失敗でもすればもちろんのこと、新兵仲間の一人がまずいことでもしようものなら、それは新兵全員の連帯責任となって制裁を受けることになる。
 その制裁も、鉄拳によるびんたなどは日常茶飯事のことであり、その上に軍艦では昔からストッパーという直径五センチ、長さ約八十センチほどのロープでつくった責(せめ)道具があり、これを海水に浸すと棒のように硬直する。
 このストッパーのほかに、木でつくった精神棒(野球のバットといったもの)で、古参兵が若い兵隊のお尻をそれこそ力いっぱいなぐるのである。それも一発や二発ですまない。
 古参兵といっても二十歳そこそこの若者だけに、殴る方が興奮してしまって、めちゃめちゃに殴る。
 私の殴られた最高記録は、帰還時刻がわずか数分おくれたときであるが、立ったままで二十数発やられてついに倒れてしまい、立てなくなった私は、今度はロープでビームから吊るされてまた殴られ、気絶するまで四十七発を数えた。気がついてみると、海水を頭から浴びせられて、ぐしょぬれになって甲板の上にのびていた。
 この制裁は、夜の巡検後、薄暗い各分隊の受け持ち甲板で行われる古参兵の、一日の私たちの勤務に対する講評の後で、かならずといってよいくらいはじまる。なかにはこの制裁を唯一の楽しみにしていると思われる意地の悪い古参兵もいた。
 たまに五日もバッタのない日が続くと、私たち新兵は、かえって薄気味悪く感じたもので、風呂に入っていても新兵であることの証拠は、お尻を見れば一目でそれとわかった。新兵のお尻は、いつも紫色に皮下出血をおこしていた。
 兵隊同士の制裁は、副長はじめ分隊長、分隊士から禁止されているとのことであったが、そんなことはまったくの空念仏で、士官たちはまったくよその社会のことのように知らぬふりをしていた。
 それどころか、夜間に行われる、栄光ある日本海軍のこの地獄沙汰を、まったく知らなかった士官が大半ではないかと私は思った。
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あの坂井三郎が書いているんだから本当なのだろうとは思うだけに、時代が違うとはいえ、「こんな軍隊でよく戦ったものだな」と思わざるをえない。同じ時代の他国の軍隊でも似たようなことはあったのかもしれないが、想像するに志願兵制ではなく徴兵制である場合にこのようなリンチがまかり通りやすい、とは言えそうな気がする。
志願兵制だと、いわば「労働市場の一部」となるので、市場原理が働く余地があり、その(精神的・経済的)報酬のわりに過酷すぎる場合は「退出」、すなわち除隊してしまうであろうし、除隊した人からその評判は広まってしまうであろう。