アップル社の「制服」
最近読んだ本にこんなことが書いてあった。
----- 引用開始 p.137 -----
アップルのとある上級管理職がこんな話をしてくれた。昇進を間近に控えていたとき、上司からもしかしたらスティーブ・ジョブズに会えるかもしれないと言われた。そうなったら、かならずユニフォームを着てこいという。彼はアップルに入社して日が浅かったので、どういう意味ですかと聞いた。そして、その答えの細かさに唖然とした。ユニフォームとは、まずデザイナーものでないジーンズ。リーバイス、ギャップ、ラングラーまでならOK。プレーンな白シャツで、カジュアル感を出すために袖をまくる。襟ボタンはいちばん上だけ外して、下にはTシャツ。腕時計は地味で機能的なもの。靴はローファーかスニーカー。革靴は避けたほうが無難で、フォーマル系は絶対にだめ。靴下は履いても履かなくてもいいが、けばけばしいものは避ける。メガネは目立たないもの。アクセサリーは付けず、コロンもなし。会議に持ち込んでいいのは、最新のマックブックだけ。「個性を感じさせるものは身に着けないことが原則」で、「スティーブが君を見たいように見られるように」するためだと言う。彼はユニフォームをスポーツバッグに入れて、車のトランクに六週間置きっぱなしにしていたが、残念ながらその機会はなかった。昇進はしたものの結局ジョブズに会えずじまいだった。
アップルがカルトだと言われるゆえんは、わけのわからない理念のために個性を捨てさせる、こうした行為にもある。
----- 引用終わり -----
『なぜハーバードビジネススクールでは営業を教えないのか? 拒絶から始まる世界一やりがいのある仕事』(フィリップ・デルヴス・ブロートン著、関美和訳、岩瀬大輔解説、プレジデント社、2013-08-31)
良かれ悪しかれ、シリコンバレー界隈でもアップル社は「特別な存在」ではあるし、このような「制服」を暗黙のうちに強要する会社は皆無に近いと思う。しかし「カルト的」とも言える、その宗教的な情熱もアップル社の成功の大きな要因の一つだとも認めざるをえない。
カルト的なほど強い企業文化だと経営的にはマイナスよりもプラスの方が多いんだろうな、というのが私の結論。
+ 社内承認プロセスなど、会社が必要とするプロセスが少なくなる。
+ チームワークの基盤となる。
+ 採用の方針が明確になる。
+ 長期の従業員定着率が高くなる。
- 採用に時間がかかる。文化的スクリーニングがあるから。
- 短期的には新入社員の定着率低い。強烈な文化とのミスマッチ。
- 世の中の変化に合わせることを怠りがちになるので、暴走して社会問題になりかねない?
一般に採用担当者の質問内容や採用/研修プロセスで、強烈な文化を持っているかどうかが分かってくる。
Airbnbでは「余命10年でもこの会社で働きたいですか?」とすべての候補者に質問するらしいし、Zappos(靴の通販)では新人研修が終わった後に、
1. 4000ドルもらってZapposを去る、
2. Zapposで働き続ける、
という2つのオプションを与えられて選んでもらうのだそうな。
私が採用インタビューに受けた質問で最も記憶にあるものの一つが、会って最初の質問が「どうして俺はお前を採用しないといけないんだ?証明してみろ! Why do I need to hire you? Prove it!」とイギリス人のボスから挑戦的に言われたことか。
国際チームのマネジメント能力
大抵の山は一人でも登山できるので、登山という行為は自分との闘いの側面が大きい。しかし、エベレストのような山となると、頂上まで行くのは一人かもしれないけれど、それを支える様々なスタッフがいるわけで、実際は「組織」で登っている。
その意味で高山の頂上を制覇するには組織を束ねる力が致命的に重要なはずだ。全く違う技量が必要だろうな、と思う。一人でどんなところでも登れる自信や技術・体力があっても高山を制覇できるわけではない、ということだ。
「日本人は個人では弱くても組織になると強い」とか「日本企業は戦略はいまいちだが、実行力は抜群」とか、よく外国人から言われルわけだから、チョモランマやK2のような8000メートル級の制覇は日本人チームがいっぱいいるはずなのだが、実際はそうでもない。その理由は、チームはチームでも日本人だけで構成されたチームではなくて、色々な国籍の人たちが入った国際チームだからなんだろうと考えている。
国際チームのマネージにおいて日本人が得意でない理由は「日本人は単に語学が弱いから」というよりも、自分とは異質の人たちをマネージする力が弱いから、なんだろうと考えている。今後の世界を考えると、国際チームを束ねることのできる日本人がもっともっと必要だ。観光立国を目指すにも、外国人をマネージして観光案内する人が草の根的にもっともっと必要だし、人口が減少していくんだから、成長している企業の職場には外国人もどんどん増えていくだろう。そういう人たちをマネージしていかないといけない。
常識という名の偏見
認識とは不要な情報を捨てること
企業の新陳代謝力とベンチャー企業の出口戦略
早く行きたければ一人で進め。遠くへ行きたければみんなで進め:ダイバーシティ論
アフリカの諺で「早く行きたければ一人で進め。遠くへ行きたければみんなで進め」というのがあるらしい。
登山でも同様で、単独行の方が自分のペースで行けるから早く目的地に着ける。団体行動だとボーイスカウトの行進みたいに一番遅い人のペースに合わせるからどうしてもスピードは落ちる。でも装備の種類や救急用品など色々な備えができるので人数が多いと遠くまで行ける。
集団で進むにしても、その集団内で多様性があるほうが遠くまで行ける。山登りで、みんな同じ装備を背負っていくのは意味がそんなになくて、それだと三角巾や消毒薬みたいな基本装備はみんな持っているけど、ヤマビル対策のスプレーとかアナフィキラシーショック対策のエピペンをさすがに持って山登りする人は少ない。けれどグループ登山だとそういうことも可能になってくる。
多様性(ダイバーシティ)が無い方が早く行ける理由も理解できる。同質だから、山登りだと同じような体力を持っている男性ばっかりとかだとペースが同じだから、集団でも目的地に早く着ける可能性が高い。それがダイバーシティがあると、色々と大変。体力ある人、無い人、荷物が多い人、少ない人、休みを頻繁に取りたい人、そうでない人、など。でも、予期せぬ事態に直面した時に対処策というかオプションが多くなる。登山で言ったら、鼻がよく効く人がいたら、獣臭(けものしゅう)をいち早く感じて熊が近くにいることをみんなに警告できたりとか、キノコや山菜に詳しい人がメンバーにいたら、遭難時にも生き残れる可能性が高くなる、とか。
人生も同様。一人で生きているよりもパートナーとか家族とかいると、自分一人では行けないところへも、振り返ってみると行けている。その家族の中でのダイバーシティがあるから家庭のマネジメントは大変だ。でも遠くへ行ける。
時を重ねても自分の中に残ること
本を購入した後に読み始めて「あれ?なんか読んだことがあるような...」と思って調べると、確かに10年前に読んでいたりする。でも再度読んでみると、かなり忘れているので、新鮮に読めたりする。
「こんなに忘れているんだったら、読んでいる意味があるのかいな?」などと考えたりもするが、忘れている、ということは自分の中で当時響くものがなかったから、というわけで、そんな中で自分の中に響くものだけが残っていくわけだ。
どうして自分の中に響くかというと、そのことに関して受容できるレセプターがあるからなわけで、そのことに関する問題意識がある(「アンテナが立っている」と言い換えてもいい)からだ。
となると、たくさん自分の中に残そうと思うと、問題意識の幅や深さを拡大しておくしかない。そのためにも勉強しておかないといけないんだが。
結局のところ、時を重ねても、自分の中に残ること、それが勉強(読書、経験、思考など)の成果であり、自分を形づくるすべてだと考えている。