一経営者の四方山話

個人的に関心を持っているイシューについて考えたことを書いています。経営、経済、文化、学問など多岐に渡ります。

『キャパの十字架』(沢木耕太郎著)を読んで

 最初に知ったのはいつ頃だったか思い出せないが、高校生の頃にはすでに、フォトジャーナリストのロバート・キャパRobert Capa 1913-1954)のことが気になっていた。戦争の現場に行って、命がけで写真を撮り、そして最後は戦場で死んでいった壮絶な人生。考えてみれば、私が軍事的なものに興味を持ったのも彼の影響だ。彼の写真集とかを大学の図書館で見ていて、気づいたら数時間過ぎていたこともあった。とはいえ、彼に関してはそんなに深い知識もなかったのも事実だ。そもそも彼の著書の「ちょっとピンボケ(Slightly out of focus)」(1956) すら読んでいないほどだ。キャパが最初に有名になった「崩れ落ちる兵士(Falling Soldier)」というスペイン内戦の時に銃で撃たれて崩れ落ちる兵士の瞬間を写した決定的な写真が、そんなに各所で議論の対象となっていることも知らなかった。要するに実際は撃たれていないのではないか、とか「やらせ」ではないかとか、実際はキャパが撮った写真でないのではないか、という議論だ。

 昨日、今日と『キャパの十字架』(沢木耕太郎著、文藝春秋)を読み終えて、キャパの人生に対する私の見方ががらりと変わった。若くして、いきなり世界のフォトジャーナリズムのスターダムにのし上がってしまった彼の悲劇(!)がその後の人生を変えてしまった。戦争というのは、フォトジャーナリストにとっては最も華々しい取材対象であることには間違いない。しかし、彼は戦場で最も生き甲斐を感じて、そして「崩れ落ちる兵士」で受けた評価を現実にするための人生を生き抜いて、ノルマンディー上陸作戦の中で最も死傷者の多い部隊とともに上陸したのみならず、上陸する兵士を正面から撮った写真(つまり彼は兵士より前に出てドイツ軍に対して背中を見せて撮影した)で彼は「崩れ落ちる兵士」の呪縛を心理的にはやっと解くことができたのだろう。

 キャパが女優イングリッド・バーグマンと付き合っていたとは知らなかった。彼女はプロポースを待っていたが、最後までプロポースしなかったキャパに愛想をつかしてしまったらしい。キャパは、戦争を取材対象としている限り、命がけで仕事をせざるをえない状況にあったし、妻や子供らがいる状態で命がけの取材ができるとは考えなかったという理由が一つ。それと、唯一キャパが生涯で求婚した相棒の写真家ゲルダ・タローが求婚を断り、かつそれからまもなく戦死してしまい、キャパは彼女への思いを残りの人生ずっと抱えたままだったから。

 最後に第一次インドシナ戦争を取材中にベトナムで地雷爆発のために亡くなるのだが、そこへ取材に行かないか、と誘われたのは、たまたま日本に来ていた時だった、というのも知らなかった。

 あらゆる可能性を検証していって論理的に一つの結論に到達する過程は、まるで推理小説で犯人を追いつめていくかのようで、読んでいて時間の経過を忘れるほどであった。