一経営者の四方山話

個人的に関心を持っているイシューについて考えたことを書いています。経営、経済、文化、学問など多岐に渡ります。

人類の身体能力は低いのに比類ない繁栄を謳歌できているのはなぜか?

万物の霊長と呼ばれる人類と言えども、別に各身体的能力が他の動物に比べて優位にあるわけではない。聴力一つとっても、人間が探知できるのは20ヘルツから2万ヘルツの間のみ。2万ヘルツを超える高音域では、コウモリが真っ暗闇を飛行しながら超音波を発し、その反響を聞いて障害物を避け、飛んでいる昆虫を捕まえる聴力がある。
 
人間には探知できない20ヘルツ未満の低音域では、ゾウが低い声で群れの仲間と複雑なメッセージをやりとりしている。自然には人間の可聴域を超える音にあふれかえっているのだ。つまり自然の中では私たち人類はいわば聴覚障害者のようなものと言える。
嗅覚については人類は地球上のすべての生物の中で最も鈍感な部類に入る。他の生物の大部分は、においと味を頼りに生き延びている。人類の嗅覚は方向感覚がないので、周りの誰がおならをしたかも分からないほどだ。他の動物は嗅覚や味覚(←アリ、ミミズとかそうかな?)で方向を判断するのに。
 
視覚については人類は発達した部類に属する。人間とほぼ同じ色覚と光スペクトルを持つ動物は、リスとトガリネズミ、そして一部の蝶だけとされている。しかし、人間よりも優れた色覚を持つ動物はたくさんいるのだ。その筆頭が甲殻類。シャコは12種類、それに続くエイも10種類の光受容体を持ち、「三色型色覚」(青・緑・赤)として公認されている人間の目を大きく引き離している。
 
そう考えると、人類の比類ない繁栄、つまり地球の再生不可能な資源を採掘すると同時に、同じ地球に生きる他の種を悪びれもせず根絶やしにしうる、とてつもない力が生まれたのは、脳の発達、自由に動いて器用に扱える指、高い言語能力などによって支えられたコミュニケーション能力によってだろうな、というのが私の今の結論。個別の戦闘能力はライオンやトラなどと比較にならないほど弱いのに、高いコミュニケーション能力によって、より大きな集団で生き残りを協同で図っていくことが可能になったからだ。
その最強種である人類に対して、家畜となることによって繁栄を謳歌しているブタ、牛、馬、イヌ、ネコなどの繁栄・生き残り戦略もすばらしい選択だ。おそらく人類をうまく使っているのが穀物類(米、小麦、ライ麦など)だろう。人類がいなかったら、こんなに種として繁栄することもなかったはずだ。特に、人間が勝手に品種改良した結果、野生種よりも栄養価は高く、人間が手間暇かけて育てないと育つはずもないような生存能力しか持っていない品種(「巨峰」とか「コシヒカリ」とか)が繁栄している現実。コシヒカリだって、コケヒカリと農家から言われるくらい倒れやすい品種だ。
ここまでいくと、繁栄している人類を利用して弱くても繁栄することに成功している彼らの方が賢い戦略と言えるかもしれない。